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小会のさまざまな活動を紹介しながら、これからの経営課題を予見し、課題解決のヒントを探っていきます

企業の歴史、自身の経験、自社の取り組みから学ぶ経営者に必要なリーダーシップと人財育成

2022年11月19日、JMAトップマネジメント研修・新任取締役セミナープログラム内/経営者講演より

新たに取締役となった方々にお話をするにあたり、まず私自身が経営者として重要と考える6つの能力についてお伝えします。

「ロジカル思考」

戦略を決めるとき、同僚と衝突したことは何度もありますが、データを見せて論理的に説明すると納得します。感情論や上下関係だけで押し切っても納得していなければ仕事に身が入りません。冷静かつ論理的に説明することが大切です。

「先見性」

未来を予測し、会社の将来をイメージしつつ、将来ビジョンを共有します。私は島津をなくてはならない会社、社会で貢献できる会社にしたいと考え、外部との共同を進めてきました。ビジョンを共有し、価値観を合わせることが重要です。

「経営数字の理解力」

経営的な数字を見て疑問を感じると、必ず現場に行きます。数字の背後で何が起きているかを理解することで決断を下せます。短期・中長期の視点で起きていることを定量的に把握し、対策の効果を定量的に評価することが重要です。

「アイデア・施策の展開力」

新しいアイデアを経営者自身が出していく場面があります。時には、朝から晩まででは足りず、夢に出てくるぐらい考えなければなりません。経営者は、現場で起こっていることを理解し、信念を持って物事を展開する必要があります。

「多様な視点を理解するコミュニケーション能力」

今、ナショナリズムとグローバリズムが交錯しているなかで海外戦略を考え、実行しなければなりません。一番大切なのは柔軟な視点で、国内外の多様な意見を把握・活用するコミュニケーション能力が非常に重要だと思います。

「人間的な豊かさ」

経営者として最も心するべきは、人間的な豊かさです。人間性を磨くとは何かを自問自答する。そのためには、いろいろなことに関心を持ち、自身の言動を通じて、周囲に良い影響を与える関わりを心がけていくことが重要です。

本日は、当社の歴史と私自身の経験、企業としての歩みからの学びを通じて、こういった結論に至ったかについて話していきたいと思います。

会場風景
「なんでも作ります」の精神で画期的な製品を次々と開発

島津製作所の創業は明治維新後の日本の近代化と密接に関わっています。明治政府成立の2年後、1870年には今で言う理化学研究所のような役割を担った研究機関「舎密局」が京都の木屋町二条に開局されました。

当社の創業者、島津源蔵は槇村正直京都府知事との交流を深めながら、舎密局に出入りし、「なんでも作ります」と言って、1875年からさまざまなことに挑戦し始めました。これが島津製作所の創業です。とりわけ、「京都府民に科学技術を見せてほしい」という槇村知事の要請で軽気球を飛ばすことに成功したことが話題となり、島津源蔵の名は全国に知れ渡っていきました。

二代 島津源蔵は、1896年にX線写真の撮影に成功し、1897年には鉛電池(GSバッテリー)を開発しました。その後も島津製作所は国産初のガスクロマトグラフ(1956年)、世界初の遠隔式X線テレビジョンシステム(1964年)など画期的な製品を開発していきました。すべてに共通するのは、外部の研究者、大学、企業と共同で製品や技術を創出していったことです。

こういった発明の背景には二代 島津源蔵の「科学は実学である。人の役に立たなければ、理論だけを知っていても意味がない」という哲学がありました。「なんでも作ります」という姿勢で仕事を請けながらも、「理論や知識を実際に使える状態にするための製品を生み出しなさい」という基本的な教えがあったのです。

具体的には、「さまざまなことに関心を持つ」「いろいろな人と積極的に交流する」「長期的視野で物事を考える」「ブラックボックスとせず、疑問を持ち理解しようとする」「失敗を恐れず、やり遂げる気持ちを持つ」といったことを徹底しなさいという教えでした。

そして、困難に立ち向かう強さです。「失敗をすることが問題ではなく、失敗から何も学ばないことが問題である。なぜ、失敗したのかを客観的に分析し、それを次に生かすことが重要」であることを説いたのです。

二代 島津源蔵の哲学は当社において、「科学技術で社会に貢献する」という社是、そして「『人と地球の健康』への願いを実現する」という経営理念として現在に継承されています。

ニーズへの対応でコア技術を身につけることが成長の原動力

現在、当社は「分析計測機器」「医用機器」「産業機器」「航空機器」の4つの事業領域があります。過去に5回ほど苦しい時期がありましたが、会社を継続できた要因は3つあります。

まず、「時代が変わっても『科学技術で社会に貢献する』の社是に忠実に行動」してきたことです。

2つ目は、「ニッチであっても、さまざまな分野の要請に真摯に答える姿勢」です。初代島津源蔵の「なんでも作ります」という精神が今も脈々と続き、さまざまな分野の要請に応えてきました。

そして3つ目は、「産業の進歩・発展に対応し、貢献するための技術開発力の確保」です。技術は日々磨いていないと維持できません。技術開発力を会社として常に維持することが非常に重要なポイントです。

こういった姿勢で事業に臨んできた歴史が、「独創的な技術開発」と「ユニークな発想の尊重」を重視する企業風土を生みました。お客様のニーズに対応することで、さまざまなコア技術を身に付け、顧客の事業分野を広げる。最終的には当社の事業になり、成長をしていく。それが当社の大きなDNAとなり、事業成長の原動力となっています。

共同開発を通じて学ぶ企業風土を生んだ “リスクを取る決断”

私自身の経験を振り返ってみると7つの時代に分けられます。自分の専門性を磨くことに没頭した入社後の時期と国際経験を得た30歳でのカンザス大学留学。課長時代には顧客対応を学び、部長となって事業の中の弱点の克服に取り組みました。副事業部長時代は外部と心を一つにして共同開発を行い、事業部長になってからは海外拠点の強化に努め、実際の行動や実践を通じて知識や精神を磨いてきました。

そして2015年、社長になりました。心がけたのは「寧静致遠(ねんせいちえん)」。諸葛孔明が自分の息子に残した言葉と言われていますが、その意味は「誠実にコツコツと努力を続ければ大きな目標は達成できる」ということです。

私自身の経験を振り返って学んだことをひとつご紹介します。

2000年頃、部長を努めていた時期にある製薬メーカーから「今後の医薬品開発では質量分析計を使う局面が増える。専用の液体クロマトグラフを共同開発したい」という申し出がありました。

しかし、当社には質量分析計の製品がなく知識も経験もありません。社内では「リスクが大きすぎるので丁重にお断りしましょう」という意見が大勢でした。可能な範囲で開発に取り組み、成果は保証しないという意見もありました。一方、営業部門は「実現するまで積極的に取り組み、最後まで諦めるべきではない」という意見でした。

私は「諦めない」ことを決断し、3年間、顧客の元に通い続けて、製品化にこぎつけました。今、液体クロマトグラフは当社で最も大きな事業となっています。これをやっていなかったら、島津製作所の液体クロマトグラフの事業は、今のようには拡大できていなかったと思います。

私自身、共同開発で出会った方々、とりわけエーザイの浅川直樹さんからは人生の教訓を数多く学びました。「目標を達成しようとするとき、限界がたったひとつある。それは自分が決めた限界である」といった浅川さんの言葉から27の教訓をまとめて、「浅川語録」として社内でも紹介しています。

外部の方々と共同開発を通じてさまざまなことを学ぶことが当社の企業風土のひとつになっています。特に、液体クロマトグラフの部署は「何か言われたら、とにかく対応しよう」という姿勢があり、それが結果として大きな業績として表れています。

社会実装を前提としたイノベーションが人財を育てる

現在、当社はオープンイノベーションによって持続的な成長と人財育成に取り組んでいます。

外部との共同研究では、さまざまな分野の方々からたくさんのことを学ぶことができますし、直接、学べるので短期間に知識を習得できるのです。私自身、元々は液体クロマトグラフの技術者でしたが、いろいろな分野の方々と付き合うようになって多くのことを学び、それが結果として事業の輪を広げることにつながっています。

本来、イノベーションとは、単に技術開発をするだけでなく、モノや仕組み、サービス、組織、ビジネスモデルなどに新たな考え方や技術を取り入れ、新しい価値を生み出し、それを社会実装して、社会の仕組みに大きな「変革」をもたらすものだと考えています。そしてイノベーションを創造するすべてのステップで外部との積極的な連携が不可欠であり、それが人財育成につながるのです。

宮崎県とのオープンイノベーションでは、残留農薬など有害物質の食品の安全検査、そして健康成分を多く含む成分を分析する食の機能性を追求しました。単に製品を開発するだけでなく、宮崎県と共同で食の安全分析センターを設立し、食品の安全性確保と機能性研究を実施しながら、社会実装をしていきました。宮崎県とのローカルな取り組みでしたが、農研機構との共同研究へとつながり、日本全体での動きに広がっています。

また社内でも総務部が農研機構のコンセプトでつくった弁当を開発し、人事部はその弁当を食べた社員の健康調査を実施しました。社員の関心が高まり、モチベーションが上がり、自然に取り組みが広がっていったのは本当にうれしいことでした。

さらに未来への取り組みとして、京都府、京都銀行とも連携の協定を結びました。地域産業の活性化を通じて、社会の持続的な成長に貢献していきますが、これらは経営戦略室や環境経営統括室の社員が中心です。また、分析と医用の技術を融合して新しいシステムを開発し、健康長寿を実現する「アドバンスト・ヘルスケア」では、海外の研究者とも連携をしています。社内的にも分析と医用という縦割りが非常に強い事業部同士の人間が共同していくことにつながっています。

外部とのさまざまな共同研究や連携事業に取り組むことは大切であると思う反面、業績も上げなければいけないので苦労はあります。しかし、事業というのは人がやっていくものです。よい人をたくさん育てられる分野を広げることが重要だと私は感じています。