2024年9月13日、JMAトップマネジメント研修・新任執行役員セミナープログラム内/経営者講演より
エステーは、1948年にエステー化学工業として創業しました。防虫剤や炊事用手袋の製造販売に始まり、1970年代以降は芳香剤、除湿剤、消臭剤と商品ラインナップを広げています。東日本大震災後の2011年には世界初の家庭用放射線測定器、コロナ禍の2021年には持続性除菌コート剤を発売するなど、その時々の社会課題を解決する新商品を生み出し、新しい市場を創造してきました。現在は、防虫剤、除湿剤、お米の虫除け、冷蔵庫の脱臭剤ではトップシェア、消臭芳香剤では1~3位を維持しています。
私自身の経歴ですが、新卒で日産自動車に入社し、その後、欧州のラグジュアリーブランドのマーケティング、ブランディングに従事していました。エステーとの関わりは、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトン(LVMH)グループの日本法人に在籍していた2009年、当時エステーの社長を務めていた叔父の鈴木喬から、日用品のデザイン革命に参画してほしいと要請を受けたことがきっかけです。初めは外部コンサルタントの立場で参画し、2010年に入社しました。2013年から10年間社長を務め、昨年から会長という立場におります。
私は、同じBtoCの消費財とはいえ、単価も戦略も全く違う業界からエステーに飛び込みました。まさに“異分子”だった私が、エステーに入社して最初に感じたのは、大きく4つの違和感でした。1つ目は、意思決定層の9割が生え抜きの中高年男性だったことです。前職のLVMHでは、マーケティングやブランディング部門はほぼ女性で、国籍も多岐にわたっていました。日本人100%、40代・50代の男性が大半というエステーの状況は、私には逆に異様な感じがいたしました。2つ目は新しい価値を創造しようという努力なしに価格競争だけをしていたこと、3つ目はユーザーの7割が女性であるにもかかわらず、女性の視点が欠落した商品だったこと、4つ目は長期ビジョンや中長期計画がなかったことです。この4つの違和感を出発点として、社長として私が行った経営改革についてお話ししていきたいと思います。
ブランド力で既存事業に新たな価値を創出2013年に私が事業を引き継いだ時、売上は停滞し、利益水準は漸減傾向にありました。まずこの“出血”を止めようと取り組んだのが、売上の9割以上を占める国内BtoC事業の収益構造改革です。当時は商品ごとの収益性といった基礎的なデータも把握されていない状況だったため、2015年に事業マトリックス制への移行と管理会計の整備を行い、収益の見える化を図りました。売上至上主義から利益志向に転換し、さらに高付加価値商品が好調に推移したことで、営業利益率がV字回復し、2018年に史上最高益を上げることができました。
営業利益が回復した2019年、持続的成長に向けた長期ビジョンと成長戦略を打ち出しました。「海外」「BtoB」「EC」の3つを成長エンジンとし、国内の中堅日用品メーカーから脱却し、空気をビジネスのコアとするグローバルな“トータルエアビズ企業グループ”に生まれ変わるというビジョンです。その実現のために取り組んだのが、「ブランド価値経営」でした。
私には「ブランド=資産を貯める器」という信念があります。かつて私がいたラグジュアリーブランドは、長期にわたってブランドの価値を積み上げ、そのストックが利益を生み続けています。一方、めまぐるしく商品が移り変わる日用品業界では、その時のフローでビジネスを進めていくという考え方が主流です。しかし、日用品はお客様に毎日使っていただくものだからこそ、信頼に裏打ちされた愛されるブランドがあれば、そのブランド力で商品を選んでもらえるはずです。また、そうでなければいつまでも価格競争から抜け出せません。
社長就任当初、ブランドに関して私が直面した課題が、3つありました。1つ目は、同一カテゴリーにブランドが乱立していたことです。まずは、各カテゴリーのブランドを整理し、さらにブランド価値を向上させるため、機能的価値だけでなく、香りやデザインといった情緒的価値を高める取り組みを始めました。当時、社内では、店頭で目立つ派手な色遣いや大きなキャッチコピーが“良いデザイン”とされていたのですが、女性の心に訴えるような容器やグラフィックにあらためるデザイン革命を進めました。
次の課題は、ブランド価値に対する社員の無関心さです。私どもの「消臭力」は、ブランド認知度71.9%、年間9,400万個を売り上げる非常に強いブランドですが、小売価格が200円前後と低く、ブランドに付加価値を付けて単価を上げることに誰も関心を持っていませんでした。そこで、異なる名称の姉妹品にも「消臭力+●●」とマスターブランド「消臭力」を必ず付けるようにしました。また、使用する香料のランクを上げ、デザインを上品でやさしい印象に変えた「Premium Aroma」という新たなラインで商品のプレミアム化を図り、価格を3割上げました。このラインは好評を博し、消臭力ブランドの中で構成比が上がり続けています。
3つ目の課題は、強いブランドがあっても、そのブランド資産を活用しようという考えがなかったことです。「消臭力」のブランド力を他カテゴリーでも生かそうと、強いブランドがなかった家庭用クリーナーカテゴリーに、「消臭力」とよく似た「洗浄力」という新たなブランドをつくって売り出しました。また、強いブランド力を持つ衣類用防虫剤「ムシューダ」のラインでダニよけを発売し、防虫剤と隣接する殺虫剤カテゴリーへの参入も果たしています。
このようにエステーは、ブランド価値経営によって、価格競争から価値競争へのゲームチェンジを図ってきました。インフレが進行し、選別購買も広がっている今、価値競争はますます重要度を増しています。価値競争においては、ブランドや商品の差別化が不可欠です。差別化には、ほかと比べて良いものをつくる「Better」と、唯一のものをつくる「Different」の2通りの方法があると思いますが、Betterを目指すと、競合他社との競争を続けなければならず、きりがありません。そうではなく、唯一のものをつくってお客様に選んでいただくDifferentな存在を目指して、これからも極めてユニークな個性を持つブランド人格、企業人格をつくっていきたいと考えています。
企業価値を創る長期ビジョンと成長戦略ブランド価値経営と合わせて、エステーの企業価値を創造するものとして、「エアビズの新機軸」「社会の構造変化」「グローバル化」の3軸を成長させることにも取り組みました。
まず、エアビズの新機軸ですが、北海道・釧路のトドマツに含まれる空気浄化作用に優れた成分(機能性樹木抽出成分)を抽出するプラントを釧路に設立し、2011年にクリアフォレスト事業をスタートさせました。間伐材からオイル、ウォーター、パウダーの成分を抽出し、BtoB向け消臭スプレー、他社への原料提供、さらにペットケア商品に活用しています。また、地元の方たちとのトドマツの植樹会、木育活動も行っています。
次に、社会の構造変化によって生じる社会課題に対応して、介護臭に特化した消臭効果の高い商品ブランド「エールズ」を立ち上げました。また、女性の社会進出に伴い、女性特有の健康課題に香りからアプローチするフェムケア商品を発売しました。
また、グローバル化については、従来のヨーロッパ向け業務用手袋の輸出事業を整理し、私たちの主軸であるエアケアの高付加価値商品をASEANから展開していこうと、現在立て直しを進めているところです。
組織の同質化を打破して事業構造を変革する最後になりますが、これからの企業経営の在り方について、まとめたいと思います。
まず、イノベーションには組織の多様性が不可欠です。初めに申し上げたように、私は異分子だからこそ違和感を感じ、そこからイノベーションを起こすことができました。組織の同質化が進むと、考え方や価値観が時代に合わなくなったり、合理性を欠いたりしていても、なかなか気付くことができません。やはり多様な目を入れていただきたいと思います。
また、新しい価値を創造しなければ、既存事業の収益は上がりません。そのために、まずはどうすれば新しい価値を生むことができるのかを考えていただきたい。そして、事業を再定義して今まで見えていなかった新しい領域を見出し、そこに一歩踏み出してほしいと思います。
最後に、収益が上がる事業を伸ばすだけでなく、成長可能性のある事業にも注力する“両利きの経営”を進め、事業ポートフォリオを改革することが重要です。両利きの経営とは、エステーで例えるなら、「消臭力」などの強いブランドだけに注力するだけでなく、クリアフォレスト事業のようなマネタイズが難しい新領域にも粘り強く取り組んでいくことだと思います。新領域でどこまで粘り、どこで撤退するかは、答えのない難しい問題ですが、経営層としてギリギリを見極めていく必要があるでしょう。
みなさんには、ぜひイノベーションを阻害する組織の同質化を打破し、今までの事業構造を変革していただきたいと思います。