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小会のさまざまな活動を紹介しながら、これからの経営課題を予見し、課題解決のヒントを探っていきます

不確かな時代に未来をひらく経営者の決断とリーダーシップ

2022年8月26日、JMAトップマネジメント研修・新任取締役セミナープログラム内/経営者講演より

「声なき声に耳を聞くこと」の大切さを学んだ労組専従時代

私の経歴で特徴的なのは入社5年後の1980年からの約10年間、アサヒビール労働組合の専従を務めたことです。当時、弊社は業績が低迷しており、ビールのシェアはわずか10%でした。

業績の苦しかった専従時代には、会社から希望退職の提案を受けました。ある年配社員が辞めていく時、「声なき声を聞いてくれ」と言われました。その真意を確かめると、「会社の経営者も、組合のリーダーも、現場でコツコツと寡黙に仕事をしている人が何を考えているかは、直接、聞かないと分からない」と話してくれました。

私は、工場や営業支店を「現場」とは言わずに「先端」と呼びますが、会社は先端で働いている社員たちの力で成り立っていることが往々にあります。経営者や取締役の原点は、そういった先端でコツコツと寡黙に働いている社員の深層心理の声、つまり「声なき声に耳を聞くこと」にあります。

私はこのことを組合時代に学び、会長となった今でも、先端で働く社員たちとのコミュニケーションを可能な限りしています。そして、イノベーションは、本社ではなく、先端から起きるのです。経営者は、声なき声に耳を傾けることを常に心に留めて、経営を進めることが重要だと思います。

先頭で戦う“ファーストペンギン”に集団は付いてくる

新たに取締役に就任したみなさんに、まずお伝えしたいのは、「世界は不確実性の時代に入っており、不確実さは日々深まっている」という認識を持ってほしいということです。

今はまさに「VUCA」の時代です。VUCA は、Volatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字を組み合わせた軍事用語です。ゲリラ戦になると弾がどこから飛んで来るか分りません。不確実性の中で個人がどう判断していくかが常に求められていることをVUCA は表しています。明日は今日の延長線上にはありません。一瞬先は闇です。経営者と企業は、VUCAの環境の中で、さまざまなものを求められるのです。

そして、ウクライナ危機によって国際的な秩序が崩壊しています。不確実性が高まり、従来の世界秩序が崩壊しつつある時代に、我々は経営を進めていかなければなりません。言わば、海図なき航海です。経営者は自分で答えを見つけ出し、企業価値を向上し続ける。それが、我々が置かれている環境です。

私が経営者として心がけ、そして常々、社員に言っているのは、「前例踏襲の仕事はしない」ことです。先行きが分からず、世界秩序が乱れた時代です。昨日までやってきた仕事が、今日は成果を挙げないかもしれません。常に新しいやり方を考え、社会の変化に合った経営を進めなければなりません。ですから、前例踏襲していては、変化に対応することはできません。

もうひとつは、「ファーストペンギンたれ!」です。「ファーストペンギン」とは天敵がいるかもしれない海に、真っ先に飛び込む勇敢なペンギンです。誰かが飛び込まなければ、集団はエサを求めて海に飛び込みません。経営者も、真っ先に先頭に立ち、集団に自分の背中を見せることが大切です。どんなに能弁に語るよりも、先頭で戦う姿を見せることで集団は付いてくるのです。

弊社では、私が社長に就任した2016年からの5年間でグローバル化推進のために2.3兆円をかけて海外企業を買収しました。社内の経営会議でも反対の役員はいましたが、大規模な買収をしたからこそ、今日の弊社があります。買収と合わせて、各国で展開していたさまざまな事業を見直し、コア事業ではないものを1年半で売却し、総額2000億円のキャッシュを作りました。過去の経営者が誰もやったことのない規模の企業買収と事業の売却を決断することで、私は先頭に立って背中を見せることができたと思っています。

会場風景
先見・直観(感)・決断の力を磨き、経営手腕を高める

リーダーには「先見力」「直観(感)力」「決断力」の3つの力が必要です。

一つ目は「先見力」です。不確実性の時代にあっても、事業を執行する者は10年先の長期で社会の変化を読まなければなりません。「先見力」とは、先を読み、バックキャストして、今、何をすべきかを考えることです。取締役一人ひとりが自分の力で先を読む。自らデータを探し、本を読み、さまざまな人の話を聞いて、自分の会社が10年先にどういう企業になっていたら良いかを考えるのです。

経営者は10年先の「ありたい姿」を考えます。一方、ステークホルダーが企業に求めるのは「あるべき姿」です。ステークホルダーとも十分に会話をして、10年先の「ありたい姿」と「あるべき姿」を一致させる。そこからバックキャストして現状の姿とのギャップを埋めるのが中期経営計画です。多くの企業の中期経営計画は、将来にこうしたいというフォアキャストでしかありません。ぜひ、その違いを意識し、先見力を身に付けてください。

二つ目は「直観(感)力」です。観察の「観」と感性の「感」の両方の意味での直観(感)力」を磨いてほしいと思います。

高度に発達したAIは、さまざまなデータを解析し、人間よりも素晴らしい解を導いてくれます。しかし、AIには直観(感)力がありません。実際の経営ではデータが「左に行くべき」と示していても、「右に行ったほうがよい」という直観(感)が出てくる時があります。私にも、観察データを読み込み、さまざまな人の話を聞くことから直観(感)が働き、自分の判断がふっと生まれた経験があります。ぜひ、直観(感)を磨くことを少しだけ意識してみてください。

そして、三つ目は「決断力」です。直観(感)で何を実行するかを決めたら、あらゆるリスクを想定しながら決断します。決断は、取締役の一人ひとりがやるべき、最も重要なことです。最終決断を社長に任せるという方法もあります。しかし、取締役が自らの考えを経営会議で進言するのはとても重要なことです。

全責任をかけて決断した福島工場の再稼働

2011年にアサヒビール社長に就任した私自身が、「先見力」「直観(感)力」「決断力」を実行した最初の事例は、東日本大震災後の福島工場の再稼働でした。

再稼働について経営会議の意見は分かれました。一つは、福島工場のスーパードライが放射能に汚染されているという風評被害が広がれば、全国での売上に影響するので工場再稼働に反対する意見。もう一つは、福島工場はスーパードライの製造構成比14%を占めており、閉鎖となれば東北6県に商品が行き渡らなくなるので工場は再稼働すべきだという意見です。再稼働を決断して、風評被害が出たら、社長として責任を取らなければならない。眠れない日々が続きました。

結論として再稼働を決断しました。まず、東北6県はスーパードライの売上が伸びていた地域であり、この成長市場を捨てるわけにはいかないという先見がありました。確かに当時は、福島や日本の食品を禁輸している国はありました。しかし、福島の人々は風評被害を跳ね返すために行動されるはずです。一部で風評被害が起きたとしても、拡大することはないという直観(感)が働き、再稼働を決断しました。

その決断に基づき、ドイツから2000万円の放射能探知機を2台購入し、希望する取引先には検査に応じました。幸いビールを作るのは会津山系の水で、汚染されていないことが検査結果でも証明でき、データは地元の自治体とも共有しました。

2011年11月に行われた福島工場再稼働の式典には佐藤雄平福島県知事(当時)にも来ていただきました。福島県内にあるナショナルブランドの食品工場では初めの再稼働でしたので、知事からは「福島に生きる息吹を与えてくれました」という言葉をいただき、胸が熱くなりました。

企業と経営者に求められるのは「強さと優しさ」

新たに取締役に就かれた皆さんに徳川家康の言葉をエールとして贈ります。

「一軍の大将たる者が、味方の軍団の『ぼんのくぼ』を見て、敵に勝てるものではない」

「ぼんのくぼ」とは、首の後ろの凹んだところです。軍団を率いる大将は、後ろで味方の「ぼんのくぼ」を見ながら采配しても、戦には勝てないということを言っています。ファーストペンギンと同じです。大将は先頭に立って戦わなければなりません。

大切なのは討ち死にをしないことです。徳川家康は常に先頭に立っていましたが、戦では死にませんでした。家康には勇気があるだけでなく、戦に対する「工夫」があったのです。ぜひ皆さんも、勇気と工夫を持って先頭に立つことを大切にしてください。

最後に、私が経営者として大切にしている言葉があります。

「人は強くなければ生きてゆけない。しかし、優しくなければ生きていく資格がない」

アメリカのハードボイルド作家、レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる探偵フィリップ・マーロウの言葉です。労働組合で専従を務めていた時代にチャンドラーの小説を読み、以来、この言葉を心に留めて仕事をしてきました。

個人として、家族に対する優しさがなければ、そして強さがなければ家族を養っていくことができません。これはビジネスにも言えることです。強いスキルを持つ一方で、同僚の悩みや愚痴を聞いてあげる度量の広さがなければ、ビジネスマンとしての資格はありません。

企業も同じです。強い財務体質やブランドを持つと同時、一方で落ちこぼれをつくらないことが大切です。社員のメンタルヘルスをフォローするセイフティネットをしっかりと整えることが価値ある企業には必須だと思います。