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服部都史子/わたし2度就農しました

2015.12.14

服部 都史子 (愛知県丹羽郡大口町 服部農園有限会社)

大口町は、名古屋市の少し北に位置する桜のきれいな街。服部さんはご両親とご主人、7人の社員さんと共に、水稲を中心に麦、露地野菜、野菜苗を生産されています。

子供の頃から絵を描いたり、洋裁をしたり、細かいことが好きで3年半前までは、婦人服の型紙を引く仕事をされていました。そんな会社勤めの経験を活かして働きやすい職場づくりに向けて奮闘中とのこと。


服部さんが就農された経緯はご実家が農家だったからというコトが大きいのですが…じつは「2度、就農した」とのこと。それはいったいどういうコトなのか? さっそく、お話伺っていきたいと思います。



最初の就農は実家の危機がキッカケでした

農女新聞
2度就農されたということですが、これはどういうことですか?


服部
19年前、父親が倒れまして、服部家が食べていけない危機に瀕したんですね(笑)それで、仕事を辞めざるをえなくなって…父が倒れて、1週間後には勤めていた会社を辞めていました。今思うと、勤めはじめて何年も経ってないので、会社のお役にも立っていなかったので、辞められたと思うんですが…

農女新聞
どのくらいお勤めされていたんですか?


服部
2年ちょっと位ですね。ただ、自分では、できる気になっていましたけど、当時は。(笑)


農女新聞
じゃあ、辞める際には葛藤はあったわけですね。


服部
憧れていた仕事に就いて、これからだと思っていたところだったので…。でも、実家が食べていけないというのは困るので、すぐ辞めて…。その時、今の主人と付き合っていたんですけど、主人がずいぶん助けてくれて…。


農女新聞
というと…


服部
主人も、その時に会社を辞めてウチの農家を手伝ってくれたんです。


農女新聞
えっ、辞めた? 結婚はまだされていない時ですよね?


服部
してないです。


農女新聞
ご主人が農業関係のお仕事をされていたとか?


服部
いえ、全然関係のない仕事です。


農女新聞
ご主人も相当な覚悟だったでしょうね…



両親はわたしの彼氏を全員知っているんです

服部
実は、ウチの家は娘二人だったので付き合った彼は田植えを手伝わないといけなかったんですね


農女新聞
そういうルールが…


服部
あったんです。姉の旦那もやってましたし、もちろん、私の歴代の彼もやってくれていました(笑)だから、両親は私の彼氏、全員知っていますよ。



農女新聞
すてきなシステムですね。


服部
娘に彼氏ができれば、うまいことバイトをゲットしたようなもんですね(笑)

農女新聞
それにしても、よくご主人は、仕事まで辞められましたよね…


服部
その時は、私もまさかと思いました。有給や休みをくっつけてくれて、田植えをのりきってくれて…。でも、このまま自分がいなくなったら、この家はどうなっちゃうだろうと彼は考えてくれたんだと思うんですね。私たち家族も全身から「どうしよう、私たち…」という空気を醸し出していたと思うんですけどね…。で、クモの巣にかかったように…気が付いたら、彼は会社を辞めてくれていました(笑い)


農女新聞
素敵なご主人ですね…


服部
「(会社に)もどらなくていいの?」と聞いたら、もう、辞めたから、という感じでした。


農女新聞
なるほど、その時に結婚を決めて…


服部
決めてないんですね、それが(笑)それから3年半後に結婚するんですけどね。はい。


農女新聞
3年半? 毎日、顔を合わせていたんですよね?


服部
1年半、通いで来てくれて、そのうち帰るのが面倒くさくなったのか、同棲というか、家に住みはじめました。


農女新聞
そうなりますよね。でも、結婚しようかという話にはならなかったんですか?


服部
それが…、私の家の事情でこうなっちゃったんで、親も私も「いつ、結婚するの?」とは、さすがに言い出せなかったんですよね…。彼に任せていました。


農女新聞
じゃないと、まさに、クモの巣にかけたみたいですもんね。


服部
かけたんですけどね(笑)


農女新聞
じゃあ、結婚は何のタイミングで?


服部
私もよくわからないんですが、なんか、その年はいいことが続いた年で、だからかな…。調子にのっちゃったのかもしれませんね(笑)  (※2000年にご結婚)

農女新聞
なるほど…。で、本題の2度就農した件ですが・・・



二度目の就職と就農

服部
それまでは、父のせいで好きな仕事を辞めたと思っていました。姉も好きなこと(保母さん)をやっているのに…と、私の中ですごい嫉妬心がありました。仕事も自分の腕が試せるところまでやれてなかったので、それも父のせいにしていました。

で、人を雇用するようになった頃(2005年)には、時間もできるようになり細々と前の仕事をするようになっていました。そんな時に、家で夜やっていた洋裁教室の生徒さんに勧められて、半年間、「愛知万博」の会場アテンダントの仕事をしたんですね。そうしたら、もう一回、社会に出られるんじゃないかと思って…。出られないと思っていたのは私だったんですね。 その勢いで、万博が終わってから、元の職種で、拾って頂けるところがあって、それで7年ぐらい働きました。


農女新聞
なるほど、それで前の仕事に復帰されたんですね。それがどうして、また就農することに?


服部
父が70歳になったら、会社を譲ると言い出して・・・逆算したら、その3年位前に辞めないと、主人をサポートできないと思ったんです。それと、前の仕事がめちゃくちゃ忙しくて、辞めたかったんですね。夜も遅かったですし(笑)


農女新聞
夜も遅いということは…家事とかは?


服部
それは、めちゃくちゃでした。ほんと可哀想でした。ほんと、主人には迷惑をかけていました。家が片付いてなかろうが、洗濯物がたたんでなかろうが、食事の準備がしてなかろうが、何も言わない人なんです。


農女新聞
素敵なご主人ですね


服部
ただ、やってはくれませんよ(笑)でも、それに甘えていたというか、それに対して調子にのっちゃて、ずいぶん迷惑おかけしました。


農女新聞
では、この場を借りて…


服部
この場を借りて、お詫びしたいです。お世話になっています、と…


農女新聞
で、2度目の就農をされたわけですが、思っていたのと、違ったこと、ギャップを感じられること、何かありましたか? もともと農家に育っていたので、あまりないとは思いますが…


服部
でも、経理を預かったりするようになったり、いろんな現場に携わっていくうちに今まで見えていなかったことが、見えてきましたね…。いかに傲慢な娘だったかということに気付きまして、この場を借りて、父と母にもお詫び申しあげたいです(笑)


農女新聞
というのは


服部
それまで、父のせいでと思っていましたが…父がいてくれたおかげで…倒れても頑張ってくれたおかげで…母が支えてくれたおかげで…本当に私たちがやれていますし、どこへ行っても「お父さん、頑張ってこられたからね」と言われるんですよね。本当に、感謝しています。


見て覚えろ、やって覚えろでは若い子はついてこない

農女新聞
お仕事の話に戻って、今後については、どうお考えですか?


服部
農家が不得意なことは、売ることと育てること。作物を育てるのは上手だけど、人を育てることは苦手。見て覚えろ!やって覚えろ!それだけでは若い子はついてこない、と思っているんですね。

農女新聞
なるほど…


服部
若い子たちが担い手になってこそ、続いていける部分が大きいと思うんですね。だから、いかに若者を育てていけるか、いかに魅力的な会社というか文化をつくるか。たとえ辞めたとしても、あそこで勤めた何年間が今の自分を支えてくれていると思えるような、そんな場所にしたいな、と。


農女新聞
具体的には、どんなことをされていますか?


服部
技術と知識の整合性をつけたいと思っているので、いろんなところに協力してもらって農作物のことはもちろん、リーダーシップのことなど、様々な勉強会を行っています。

農女新聞
なるほど。最後に、これから農業の世界に入っていこうと考えている女性の方々になにかメッセージを頂けますか?


服部
「どうかな、大丈夫かな?」「本当に(農業が)好きかな?」と考えていないでまずは、やってみる。やってみないと、好きかどうかもわからないので。
また、好きかどうかで一番重要なのが人間関係。人を見て、「この人、素敵だな」と思える人のところで働けるといいなと思います。


農女新聞
じゃあ、まずはいろいろ見学した方がいいんですね…


服部
そうですね。私も(社員を)いろんなところに、どんどん連れて行っていますよ!

農女新聞
でも、なかなか、そんな農家さんってないですよね。普通に考えると、他所は見せたくないと思うんですが…


服部
普通は見せないですよね。でもウチは全開です。フルオープンですよ(笑)10年後、彼らに担ってもらわないと困るので…。