仏教と実業 (第26回一隅会より)

協和醗酵株式会社 会長
社団法人在家仏教協会 会長
加藤弁三郎氏 (当時の役職)

1972年8月19日、第26回一隅会においてご講演いただきました一隅会速記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。
本講演内容は、ご自身の仏教とのかかわりをはじめ、仏念や在家仏教協会に関わる内容まで、実業と仏教のかかわりについて深い示唆を与えていただく講演内容です。

【第36回】10.在家仏教協会について - (1)

 それじゃその前にちょっとひとくち、ご紹介をいただきました在家仏教協会の話をちょっとPRさせていただきます。
 この在家というのは家に在ると書きますんですが、言うまでもなく出家に対する言葉でございます。元来、釈尊はご承知のように出家をなさいまして、しかも王子の身の上でありながら、城を捨て、王子の位も捨て、ことに奥さんもお子どもさんもあったのでありますが、それも捨てて、ほんとうに出家をなさって、そしてあのとおり悟りを開いてわれわれに教えを遺していただいたわけでございます。けれども釈尊のご在世中に、それだけではやはり困る面が出てきたのであります。釈尊はブダガヤでお悟りをお開きになる。これはいま、もちろん大事な遺跡になって残っておりますが、しかしその場ですぐ説教をなさったのではなく、しばらくのあいだは、いったい自分のこの悟りの境地を人に話したものか、それともやめておこうかという、そういう気持ちで、何週間かは、さらに悟りのあとの味わいを味わっていらっしゃったそうでございます。なぜそんなことをなさるのかと、そんなけっこうな話はすぐ話してくださったらよさそうなものだと思うわけでございますが、どうも釈尊にしてみますと、そんなにこれを自分が悟ったからといって、話してすぐわかるものでもないかもしらんというような気もあったやに拝察できるんですが、しばらくは布教活動には入られません。しかしそのうちに天に声あって、布教せよというような声が聞こえ、そしていよいよ説法にお入りになります。それはいまのベナレスの郊外にサルナートというところがございます。漢文の経典では鹿野苑、そこへ行かれまして、そこではじめて第一回の説法をなさるんですね。これは初転法輪といって有名な、これは有名なはずなので、釈尊が悟ったあと、はじめての説法ですから、たいへん貴重なものでたくさんの経典に残っております。そのときに五人のものに説法されまして、五人の人たちは釈尊のお弟子になるわけですね。だからここではじめて仏教の教団ができるわけです。釈尊を教師として五人の弟子ができる。だから六人で一つの教団ができたんですね。これが仏教教団のはじまりなんです。