仏教と実業 (第26回一隅会より)

協和醗酵株式会社 会長
社団法人在家仏教協会 会長
加藤弁三郎氏 (当時の役職)

1972年8月19日、第26回一隅会においてご講演いただきました一隅会速記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。
本講演内容は、ご自身の仏教とのかかわりをはじめ、仏念や在家仏教協会に関わる内容まで、実業と仏教のかかわりについて深い示唆を与えていただく講演内容です。

【第15回】3.私の信仰の経路 - (1)

 私は、さきほどのご紹介のお言葉にもありましたとおり、化学を専攻したものでございます。応用化学でございます。京都のほうでは工業化学といっておるのでございます。そこを出まして、民間の会社へはいり、ずっと今日まで来たものでございます。でございますから……でございますからというのも、おかしな言い方でございますが、とかく仏教というようなもの、むしろ宗教全体に対しまして非常に毛嫌いをしておったのでございます。もっとも、旧制高等学校から大学へかけて、いわゆる青春時代には、なにかこう人生の空虚を感じまして、これはみなさん方も、おそらくどなたも大なり小なり、そういうご経験があるのではないかと思うのでございますが、非常な虚無感におそわれました。しばらくのあいだ困ったことがあります。どうも人生の意義というものがわからなくなりまして、実に困ったわけであります。
 というのは、もう、人生、なにも意味がないじゃないか。でかんしょ、でかんしょで、末は博士か大臣かなどと浮かれておるものの、博士になったところで、それはいったいなんだ。大臣になったところで、いったいそれはなんだ。待っているのは死ではないか。はっきりわかっておるのは、ただ死なんだ。行く先は死になるのに、どうして勉強して、やあ博士か大臣だ、ちゃんちゃらおかしい話じゃないか。死ぬのにかかわらず、なぜそういうことをしなければならないのか、なんの意義があるのか、こういうようなことでございます。だいぶここにも私の同年近い方がいらっしゃいますから、一高を出た方もいらっしゃいましょうが、藤村操が、私どもよりおそらく五、六年、先輩になるのでしょうな。あの方も一高ですが、私は三高ですが、しかしながらあの人が、人生は不可解であるというような有名な短文を残して華厳の滝に身を投じた、ああいうことが非常に共感されたんですね。偉いことだ、なかなか彼は偉いなということで、正直、非常に崇拝をしたんですが、そしてやはりなにか自分も変なことを考えないでもなかった。幸い私は勇気がなかったものですから、藤村さんのように思いきったことをせずに、ぐずぐずしているうちに、だんだんと考えが変わりまして、今日、生き長らえておるようなことでございますけれども、藤村操のような境地で、虚無感、彼はよほど深刻であったと思うのですけれども、私なぞは、それと比べれば、まことにおざなりであったにちがいありません。それでもなんのために勉強するのか、勉強してなにかになったって、それがなんだ、こういうような虚無感におそわれたのでございます。