仏教と実業 (第26回一隅会より)

協和醗酵株式会社 会長
社団法人在家仏教協会 会長
加藤弁三郎氏 (当時の役職)

1972年8月19日、第26回一隅会においてご講演いただきました一隅会速記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。
本講演内容は、ご自身の仏教とのかかわりをはじめ、仏念や在家仏教協会に関わる内容まで、実業と仏教のかかわりについて深い示唆を与えていただく講演内容です。

【第6回】1.伝教大師と山家学生式 - (6)

 仏教でなにをいちばん戒めておるかというと、驕慢ということなのであります。いろんなことを戒めておることがたくさんございますけれども、最も戒められておるものは驕慢、思い上がりということでございます。これはあらゆる宗派を問わず、みな思い上がりということを戒めておって、思い上がりがあったら仏教はわからん、これを説いておるのでございますが、私もまったくそのとおりだと思うのであります。だからそういう意味で、もう、かの最澄白身が「愚が中の極愚、狂が中の極狂、塵禿(じんとく)の有情(うじょう)、底下の最澄」こういう、まったくもうほんとうの下の下に下がってものを言っておられる。
 そうでありますが、しかしわが信ずる道を進むということになっては、これはまた非常に堅固なものでありまして、それこそ千萬人といえどもわれ行かんというようなところがあるのです。由来、信仰のある人というのはみなそうだと思うのであります。仏教は悟りの宗教でございます。けれども、悟ると申したってなにか自分で勝手にひとりよがりのものを見つける、あるいはでっち上げて喜んでおるという宗教ではないと思うのでございます。やはりその根底には信がある。それは釈尊の仰せは、まことに真実な仰せであるというその信心、これはたとえ禅宗の方であろうとも、その点にいたってはまったく共通だと私は思うのでございます。その信の力というのはまた非常な強いものであります。強いといっても、人を押しのけるとか、暴力をふるうという強さではないのであります。わが信じる道は一歩もたじろかない、不退転であるという、そういう強さ、これはもちろん伝教大師はお持ちなんで、それが『山家学生式』にも出てくるものであります。そうしていま申しまするように「径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照す、此れ則ち国宝なりと。」喝破されたのであります。