仏教と実業 (第26回一隅会より)

協和醗酵株式会社 会長
社団法人在家仏教協会 会長
加藤弁三郎氏 (当時の役職)

1972年8月19日、第26回一隅会においてご講演いただきました一隅会速記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。
本講演内容は、ご自身の仏教とのかかわりをはじめ、仏念や在家仏教協会に関わる内容まで、実業と仏教のかかわりについて深い示唆を与えていただく講演内容です。

【第4回】1.伝教大師と山家学生式 - (4)

 題目はついておりません。『天台法華宗年分学生式』年分というのは、六・三・三制というような学生制度です。その学生制度について一言申しあげます、とこういう意味なので、それがのちに残されておりますが、それが十二ヵ年で卒業するということになります。それでいまも十二年籠山、十二ヵ年山から一歩もくだらない、そういう修行がいまでも行われております。つい先般も、中野英賢という方が、ほんとに籠山せられて、卒業されて、ようやく山を、おりっぱなしじゃございませんけれども、いちおう山をおりて、いま活動していらっしゃいます。ああいう十二年で一人前の坊さんに育てるという制度、これは伝教大師が定められたものでございまして、それをやるために自分の願いを書かれ、そのあとにまた自分の信じることが書かれておリます。
 それを、もうみなさんご承知のことなんですけれども、もういっぺん読ましていただきます。  国宝とは何物ぞ こうまっさきに出るのであります。  宝とは道心なり 道の心なり。ですからこの小さいパンフレットには表紙に道心と書いてあります。これがそのときの『願文』『山家学生式』で知られておるものであります。この道の心、これが今日でも実に大切な点であろうと私は思うのであります。国宝とは何物ぞ、宝とは道心これなり、道心こそが国の宝である、これをまっさきに言っていらっしゃいます。そして  道心ある人を名づけて国宝と為す 国の宝というのは、ほかではないんだ、道心のある人、道心をもっている人、求道の心をもっているもの、これこそが国宝である。
 故に古人の言く、むかしの人もこう言っておる  径寸十枚 これは大判十枚ということでありまして、今日で言えばこれは経済で、経済がいくら裕福になったってそれがなんだ、こういうようなことでございます。
 径寸十枚、是れ国宝に非ず そんなものは国宝じゃない。今日で言えば、百六十億ドルの外貨を持っておるといってみたところで、そんなものは国宝じゃないんだ、こう言いたいところでございましょう。それと同じことなんです。径寸十枚、是れ国宝に非ず、つまり経済がいくら成長し、発展し、いくら豊かになっても、そんなものは国宝ではないんだ。その次に「一隅を照す」が出るのであります。
 一隅を照す、此れ則も国宝なりと。 これが「一隅会」という名の出るところであります。径寸十枚、是れ国宝に非ず、一隅を照す、此れ則ち国宝なりと。一隅を照らすということは、つまり道心ある人、道心を養って、そして一隅を照らす。この一隅を照らすという言葉は非常に謙遜された言葉でありまして、ほんとうはこれによって十方四方を照らされたわけで、私なども、今日、千二百年を経ましても、その光に照らされておるのでありますから、一隅どころではない、全世界を照らす光であります。そういう学生を養成したいというのでありますが謙遜の気持ちで「一隅を照らす」とおっしゃったのでありましょう。