仏教と実業 (第26回一隅会より)

協和醗酵株式会社 会長
社団法人在家仏教協会 会長
加藤弁三郎氏 (当時の役職)

1972年8月19日、第26回一隅会においてご講演いただきました一隅会速記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。
本講演内容は、ご自身の仏教とのかかわりをはじめ、仏念や在家仏教協会に関わる内容まで、実業と仏教のかかわりについて深い示唆を与えていただく講演内容です。

【第3回】1.伝教大師と山家学生式 - (3)

 山へおのぼりになったのは、たしか十九歳くらい、まだお若いわけでございますが、しかしながらまあむかしの方は、ほんとうにお偉いので、私なんかは、どうしてむかしの人はこんなに頭も非常にいいし勉強もなさったかと敬服にたえないのでありますが、伝教大師にしても、あるいは弘法大師にしましても、ほんとにもうすごい頭である。その上にすごい勉強家で、また、すごい名文家である、ただただ敬服にたえないのでございます。その伝教大師が、晩年−晩年といっても、若くてお亡くなりになる。五十一歳か二歳ですから、もちろんわれわれからみれば、ほんとに子どもにあたるくらいの年齢のころにお亡くなりになったのでございますが、その晩年に、日本にどうしても大乗仏教を打ち立てなければならん。そしてそのためには、いままで奈良で行なわれておるところのいわゆる戒、小乗戒といちおう言うのでございますが、鑑真和尚以来、非常にやかましく戒が教えられておったのでありますが、それもいいけれども、やはり大乗戒、ほんとの大衆もろともに進んでいける道、それを開かなくてはならないということで、それを具体的には大乗戒というものを比叡山でもうけた。それを、官許といいまして、政府の公認を得たいというのが、お亡くなりになるまでのお願いであるわけです。しかしそれを、ただ単に大乗戒を開きますからというのでは、もちろん政府に許されることはむずかしい。そこで、そのためには学生を育てます。その当時、がくせいと書いてがくしょうと読まされておりますが、ほんとのいい坊さんを育てたいんだ。そのためには、これこれしかじかの制度をもって、厳重なる教育をして、それを卒業させます。そういう次第でございますから、どうぞ勉強して、卒業したものには官から最高の僧位を授けていただきたい。その学生を育てる場合に、戒はこれこれしかじかのものをもうけて必ず守らせます、こういうような意味のことを、それを『願文』として朝延へ出されております。それがいま全部残っております。直筆のものがそのまま残っておるそうですが、その中で『山家学生式』そこにいまの一隅を照らすという言葉が出るのであります。短うございますから、そこのところだけちょっと読んでみます。