産業新時代と経営倫理

社団法人日本能率協会
会長 十 時 昌(当時の役職)

一隅会創立15周年(1985年)記念特別講演会の記念基調講演として記録をもとに、一部編集をしてお伝えいたします。本講演記録では、急きょ講演しなければならなくなった事情などの前段がありますが、本題からお伝えさせていただきます。

1985年という時代を想像いただくために、主な出来事をお伝えします。
前年(1984年)の1月9日に東商1部ダウ平均株価が初めて1万円台を記録し、7月に夏季オリンピック・ロサンゼル大会が開催。
1985年3月に科学博―つくば博が開幕し、4月に日本電信電話株式会社と日本たばこ産業株式会社が発足。5月には男女雇用機会均等法が成立。
ホワイトカラーの生産性向上やオフィス革新、またサービス産業におけるサービス向上に関心が高まりはじめるという時代でした。

産業新時代のルール 2

 戦後になりますとがらりと競争模様が変わって、財閥間の競争はなくなったわけですけれども、今度は業種別の競争拡大ということが始まりました。大体1945年から1950年代終わりごろまでが、業種別の拡大競争の時代です。たとえば先程申し上げたカメラ産業界というものが、どんどん大きくなりましてドイツがとうとうあきらめてしまうようにまでなってしまう。それからまた自動車産業が非常に進歩発展してくる、造船業が進歩してくる、そういうことかずっと続きます。この時代は業種別に、それぞれの業種内で大きくなる競争を一生懸命やって来た時代です。1960年代に入りますと、少しまた模様が変わってまいりまして、そうやってどんどん大きくなっていったんだけれども、大きくなって来たことのために日本のマーケットは大体充足されてしまいまして、それからまた同時に、先程カメラ産業で申しましたように、日本の国内での非常に激しい競争のために日本の産業の製品の質は非常によくなり、値段は安くなって来ますし、輸出力を持って来たということで、国内のマーケットを充満させた商品が、いっせいに今度は世界中に出てまいります。そういうふうな形でもってずっと競争が続いて来たけれども、これからはそれが大変な問題になりつつある。
(続く)

  • 略歴
  • 大正9年生れ。川崎航空機工業(株)、不二越綱材工業(株)を経て、昭和23年社団法人日本能率協会入職。理事、常務理事、専務理事を経て、昭和48年理事長、昭和50年会長に就任、昭和57年藍綬褒章を受ける。(株)日本能率協会コンサルティング代表取締役、(財)日本生産性本部顧問、(社)経済団体連合会評議員などを務める。経営全般、工程管理、工場設計、設備管理等をテーマとして約100社の調査指導にあたる。
  • 著書
  • 「設備の医学」(白桃書房)、「第一線管理者としての作業長」、「これからの作業長制度」、「複眼のアドバイス」、「現場管理者の革新」(いずれも日本能率協会)