日本の能率を築いた人びと

執筆者:社団法人日本能率協会常務理事 中嶋誉富(当時)
本記事は、1987年「JMAジャーナル」において連載されたものを編集して掲載しています。
記事中の役職名や数字などは当時の原稿どおりとしています。

堀米建一 IE普及に賭けた鬼 3

生産技術講習会と堀米イズム

 この生産技術講習会(IEコース)での堀米の教育理念は,“堀米イズム”といったものである。それは,「工場という畑に種子を蒔き,水をやり,細心の手入れをして,はじめて労使ともに秋の果実をとり入れることができる」という成長哲学や連帯精神が指導の根本をなしていた。したがって,講習は工程研究,時間研究,動作研究という手法を教えるのではなく,手法を通じて科学的管理法を,工場管理のあるべき姿を,“現場との一体的研究による改善のManagement”を教えた。つまり,工程研究を通じてProcess主義を,作業研究を通じてMotion Mindを,現場の実態の中から教えたのである。
 とくにMotion Mindについては徹底していた。それは,単にサーブリックを教えるのではない。現場での不具合や無駄は,すべて人間の考え方と行動の結果なのである。
 したがって,その行動を通して,なぜそうするのかを追求し,その行動の意味や考え方を問い直し,意義のある行動と無駄な行動を区分し,さらに不具合や,不良品や,コスト高に通ずる行動を動作の単位まで追求して見極め,その仕事のあるべき姿を求め,標準作業を確立しようとする基本的な態度,考え方が,Motion Mind なのである。
 この過程を経て,はじめて作業方法は安定し,標準化され,時間設定が意味をもってくる。
 作業研究(Time and Motion Study)は単なる時間研究,時間観測でないことを徹底させたのである。
 これも鉄道時代に単価請負制度に悩み抜いて,時間観測の無意味さを悟り,徹底した無駄に対する問題意識から仕事を改善し,標準化し,標準時間を設定して職務給に発展した,堀米の苦闘の経験からにじみ出たものである。
 そしてこの間,請負制度に疑惑と不信をむける現場および作業者に,正しい作業研究と改善活動の必要性を繰り返し説得し,彼らとの十分な質疑応答の中に理解を求めながら,最後には組合の幹部からも改善を催促されるまでに工場管理,労務管理を一新したのである。これは堀米の成長哲学,人間観による成果なのである。

日本能率協会と堀米建一

 今まで述べてきたように,昭和17年3月,当時の能率推進2大団体であった日本工業協会と日本能率連合会が統合一体化されて,日本能率協会が創立され,戦時体制下の強力な能率推進が製鉄および軍需工場を中心に展開された。
 堀米は日本工業協会から,そのまま業務を引き継いで,日本能率協会理事として就任し,生産技術者教育および工場診断,工場改善,さらに講演にと奔走し多忙を極めるが,日本工業協会時代とその内容はほとんど変わらなかった。
 しかし,とくに軍からの要請が強く,製鉄所,航空機関係,海軍工廠などの工場診断,改善指導のオーダーが急増した。これに応えるために,堀米の育てた昭和12年以来の生産技術講習会の卒業生が,助手として活動した。責任者はもちろん日本能率協会の理事長森川覚三はじめ,堀米建一,小野常雄が担当したが,戦時中の日本能率協会の仕事を大いに助けたのである。
 日本工業協会時代の運営方針であった生産技術者(IEer)の卵をどんどん養成し,このメンバーの経験的成長と真の組織化により,日本の工業指導に当たるという考え方は,不十分とはいえ,この戦時下の緊急工場指導体制の中では役立ったのである。
 そして,このときの講習生の何人かが,戦後の日本能率協会のコンサルティング事業に参加して,多大の貢献をすることになる。
 福田勇,花田秀夫,新郷重夫,鈴木隆,新居崎邦宣,早川正壽,米山隆,並木高矣,中島勝,野坂仁吉,川嶋正治,羽鳥恒,菅又忠美等の諸氏である。