日本の能率を築いた人びと

執筆者:社団法人日本能率協会常務理事 中嶋誉富(当時)
本記事は、1987年「JMAジャーナル」において連載されたものを編集して掲載しています。
記事中の役職名や数字などは当時の原稿どおりとしています。

伍堂卓雄 日本能率協会の創立 4

日本能率協会創立時の運営方針

 昭和17年、戦時中の国家的要請もあって、当時の能率推進2大団体である日本工業協会と日本能率連合会を、時の商工大臣岸信介は統合強化し、新組織として、日本能率協会を創立、初代の会長に伍堂卓雄を任命、自らも名誉会長に就任した。協会役員にも各省の8大臣が、政財界からも大物が多数参画し、総役員、顧問70数名という大変な力の入れ方で、3月30日発足した。
 神田−ツ橋講堂で1、000名を越える官民の参会者の祝福と期待のうちに設立総会が行われ、この席上、伍堂会長は挨拶に立ち、生産能率向上の国家的意義を強調、全産業にわたる総合的能率増進の推進力たらんことを述べるとともに、日本能率協会の運営方針につき次のように述べたが、それはまさに伍堂のそれまでの体験と見識からにじみ出るものであった。

(1) 日本的性格を具有する能率増進方策の創案完成に努むること
(2) 議論より実行を主とすること
(3) 総花主義を捨てて真の重点主義、併列主義を排して順位を重んずる縦列主義にて進むこと

 (1) は経営管理技術については直輸入的域を脱せず、これが真にわが国情、民族性に適合した日本の内より創り出されたものでなければならない。さきの米国式管理技術がドイツには定着せず、ドイツ民族性に立脚して創案された合理化運動となってはじめて実効をあげ得た事例を重視したのである。
 現在であれば日本的経営とか、世界に役立つこれからの日本的経営とはの創案完成を意味する方針である。

 (2) は議論のための議論や、実行可能性の薄い宣伝的行事を省いて、実践のために役立つ能力を発揮せよ、実践なくして変化なし、改善、革新は実践の所産である。実践主義の強調である。

 (3) は創立当時は職員専門家の人員能力も十分でなかったので、能力分散しては実践効果が出にくいため、重点集中して、しかも優先序列を考えて、効果的実践に結びつけるよう強調したものであるが、これはマネジメントの基本である。

 ところが、昭和20年終戦となり、伍堂は戦犯容疑で巣鴨に収容され、能率協会会長を引いたが、幸い起訴されず1年後復帰した。しばらく公職追放となるが、昭和27年再び会長に就任して昭和31年まで第3代目会長を努めた。
 今度は、敗戦後の日本産業が廃墟から立ち上がる平和産業中心の復興再建で、そのマネジメントに役立つ日本能率協会でなければならない。そこで伍堂は職員を集めて今後の協会運営方針を説明したが、それは創立当初の方針をこれからの時代と日本のおかれた環境から説明したものである。
 このとき、理念方針の説明後伍堂が直筆で、要約して額に書いたものが、今も運営の標語として残っている。この額を見ると、第2項の“議論より実行”の「議論」が「理論」に変わっている。
 この伍堂の真意は推測するしかないが、日本能率協会は理論集団より技術集団であれ、技術とは実践・実行を伴うもので、実践に通ずる技術志向を説くものである。 伍堂卓雄 直筆「運営の標語」