日本の能率を築いた人びと

執筆者:社団法人日本能率協会常務理事 中嶋誉富(当時)
本記事は、1987年「JMAジャーナル」において連載されたものを編集して掲載しています。
記事中の役職名や数字などは当時の原稿どおりとしています。

伍堂卓雄 日本能率協会の創立 3

呉海軍工廠の科学的管理法

 伍堂は砲熕部長当時に、この導入を図るが、その前に大正8年から2年の歳月をかけて、「リミットゲージ」による工作方式を導入した。もちろん日本では初めての互換性をベースにする真の大量生産方式で、分業工作を可能にする品質管理状態(Control State of Quality)を作り上げる日本の品質管理の最初の試みといえる。
 すなわち、必要な製品部品の性能を吟味し、できるだけ工作法を容易にし、廉価に生産できるように塾練作業者の参画を求めて、最良の工作法を決定し、これに必要な治具、工具、ゲージ、機械等を標準化して、この標準工作方法を遂行するにいくらの時間が必要かを算定していったのである。
 もちろん最初制定したものが最善とは限らないので、その実施結果を記録し、計画通り実施されたかどうか、はたまた計画そのものが最善であるかどうかを検討吟味し、常に改善の途を考究、所要の品質を具備する製品部品を均一に最少費用と最短期日で生産するには、従来のその場主義の「臨機管理」や「軍隊式管理」をやめて、科学的管理法によらなくてはならないと関係者に強調している。
 さらに伍堂は、自分が科学的管理法を導入するに至った動機は、テーラーの賃金制度(Differential Piece Rate System)で能率を上げることではない、大量生産方式の実現が第一目的であり、そのための「リミットゲージ」システムの導入であり、科学的管理法の導入であったが、結果として大量かつ低コストの生産を可能にしたのである。そして組織的にも、「ラインとスタッフ」組織を採用し、スタッフによる計画機能を強化するとともに、ラインの実施責任を重視し確立していったのである。

伍堂の科学的管理法の認識

 伍堂は、テーラーは科学的管理法の先覚者であり創始者であるが、「テーラー式管理法」は欧米でも種々議論があり、修正されて使われている。しかし生産能率を向上するには、科学的管理法が必要であることは広く識者に認められており、テーラー式の賃金支払制度についての批判と科学的管理法の真意とを混同してはならないといっている。
 テーラーが科学的管理法を考えた理由は、労働者の期待である高賃金と、経営者の期待する低工賃(低コスト)の矛盾を解決するもので、高い賃金を払っても低コストで生産出来るマネジメントを実現するための科学的管理法で、

(1)仕事の方法、条件の最善を求めて標準化する
(2)標準に基づいてムダのないように仕事を計画する
(3)実施遂行を管理し結果を検討する

 つまり科学的態度による検討研究結果を標準化し、この標準をベースに管理するが、この標準化は常識のともなったものであるとともに、教育であり、ムダなものを除くものである。
 さらに標準は固定的なものではなく、単に「なりよき」方法条件が見い出されるまでの目安で、標準は常に進歩し改修されなければならないと強調している。
 第1次世界大戦直後の大正10〜11年の頃で、現在とは違って当時は標準化大量生産合理化時代の科学的管理法ではあるが、その根底に流れる思想背景は、まさに本質的把握がなされており、感銘するものである。
 さらに伍堂は、昭和2年満鉄理事として鞍山製鉄所所長、さらに独立した昭和製鋼所社長になるが、そこに能率課を初めて設置し、ドイツのデマーク社から能率の専門家(ドイツの生産技術者というのは固有技術と管理技術を兼ね備えた技術者)を呼んで、装置工業における能率課業務の確立とIEおよび科学的管理法に力を入れたといわれている。