日本の能率を築いた人びと

執筆者:社団法人日本能率協会常務理事 中嶋誉富(当時)
本記事は、1987年「JMAジャーナル」において連載されたものを編集して掲載しています。
記事中の役職名や数字などは当時の原稿どおりとしています。

伍堂卓雄 日本能率協会の創立 2

海軍技術武官として出発した伍堂卓雄

 日本能率協会の初代会長伍堂卓雄は、明治34年東京帝国大学を卒業後、直ちに海軍の技術武官として奉職するというユニークなスタートをした。
 当時の日本海軍は軍艦建造を外国に依頼していたため、伍堂も若き海軍少尉の時代に発注先の英国アームストロング社に出張駐在して、造船技術や工場管理について視察研究している。おそらく日本人技術者として最初かもしれない。
 日露戦争の数年前なので、見るもの聞くものすべて若き技術少尉の関心をそそり、飽くなき知識欲は炎のように燃え上がったことであろう。
 その後20数年間、海軍の工作廠勤務の中で14年間は呉海軍工廠に、約10年聞は欧米工業先進国での海外駐在技術武官としての、技術および管理の研究、吸収、消化の活動であった。
 第1次世界大戦中の大正6〜7年はアメリカに駐在し、工業力の国家的動員につき研究し、戦後の大正8〜9年は欧州諸国の工業水準が戦争によりいかに変化し進歩したかを視察、交戦諸国の工業が技術的にも、能率的にも革新的な進歩を遂げたことを認めるとともに、この第1次世界大戦が工業力と経済力の戦争であったことを痛感、生産能率こそ国家存亡の最大事であることを実感し強調しているのである。
 そして、その生産能率なるものが最少の労力、最少の資源をもって、最大の量と最善の質を生産することに革命的成功を遂げたかどうかが国家存亡の岐路であるといっている。
 とくに、欧州における経済的平衡は根底より破壊され、勝った国も負けた国も、その経済的打撃を容易に回復出来ず、これにはただ倹約と生産増加の急速な回復によるほかなしとの能率向上認識を持つのである。
 さらに敗戦のドイツを大正9年に訪れて、インフレに苦闘する産業界を視察し、産業界不安の原因は物価騰貴と共産化にほかならず、これの対策は生産能率の飛躍的向上しかない、必要物資を多産し、物価を下げることは富者のためならず、一般大衆のためになることを目のあたりにして、ますます生産能率の向上に社会的人道的意義と、当時の軍事力向上のためにも不可欠の条件としての認識を深めていくのである。

能率増進の基礎条件

 日本で能率という言葉が使われ出すのは、前述のように大正の初期であるが、誰の言葉かよくわかっていない。しかし、当時の科学的管理法を啓蒙普及することを能率運動といったのは事実である。
 語源は科学的管理法で使われるEfficiencyという言葉を日本語にしたものであるが、なぜ効率と訳さないで、能率という言葉を作ったのであろうか。
日本の文化の何かがあるように思う。 科学的管理法を推進するのに、仕事のやり方を有効にするEffectivenessと、その方法が正しく行われた度合いPerformanceを管理することの2つを統合してEfficiencyが成り立っていることを思うと、確かに単純な機械的な効率概念ではない。さすが日本人の奥深い発想だとも思う。
 さきに紹介した池田藤四郎の『無益な手数を省く秘訣』には、その序文にこのEfficiencyを日本語で「充実」という言葉を当てている。その後上野陽一は、能率とは、その性能とか能力といったそのものの「持ち前」が100%発揮されている状態をいうので、逆にいえば、ムリ・ムダ・ムラのない状態を能率というとしている。
 しかしいずれにしても、何が本物の「持ち前」かを、本人も、組織も正しく把握するところからスタートしなければならない。そのために生まれたIEはEffectivenessのためのMethod Engineeringと、 Performanceを管理するためのWork Measurementを基本にしたものである。
 ここで伍堂は、その基礎的条件には3つあり、それは人、設備、組織であり、その最重点は人である。そしてさらに、人とは作業者および管理者のことであると強調している。
 そして日本の生産能率が当時外国に比べていちじるしく低いことを、製鉄と石炭を例にとって訴えている。すなわち、

鉄鋼一人当生産量
日 本 英 国 米 国
1.00 5.30 7.00
石炭一人当出炭量
日 本 英 国 米 国
100トン/年 300トン/年 600トン/年

 これは日本人の体格の差によるとは考えられない。まさに、仕事における人と設備とその組織の運用(マネジメント)の差によるものであることを強調し、生産能率の向上と科学的管理法の必要性を訴えたのである。
 しかし当時起こっていたテーラー・システムの批判なども、十分に考慮し、さらにドイツでなぜテーラー・システムが成果をあげ得なかったか等、実践的研究がなされ、呉海軍工廠での導入が行われている。